被災地 石川へ
先伸ばしにしていた歯の治療の付けが回って来てしまい、食事もままならなくなって、昨年末、急遽日本に戻って来ました。
千葉にある姉の家で迎えた2024年元旦、3階の部屋が大きく揺れました。
その後の報道された震源地、能登半島の惨状には、言葉を失いました。日本中が、いえ世界中の人達が胸を痛めたことでしょう。
自分にできることは何だろう、と情報を集めるうちに、石川県介護福祉士会がボランティアスタッフを募っていることが分かりました。応募すると、すぐに要請の返答がありました。
被災からおよそ1ヶ月半になろうとする2月12日、金沢市内にある「いしかわ総合スポーツセンター」に向かいました。
そこには被災地域の介護施設やデイサービスを利用していた高齢者の為に100床近くが設けられており、落ち着く場所が決まるまでの間の1・5次避難所になっていました。
巨大地震を体験し、家族や家を失った方も多く、その胸の内を涙ながらに語って下さいました。その上心の準備をする余裕もないまま、思いもしない暮らしを余儀なくされているのです。
食事や排泄、シャワー浴などのお手伝いをしました。他にも看護師、栄養士、薬剤師、理学療法士、ケアマネージャーなどが全国から応援に駆けつけていて、連携し、命を守る支援を展開していました。
今回私は朝6時から夜7時まで、2日間の勤務でした。
「どんな所に行かなきゃならないのか不安だったけど、ここではみんなが良くしてくれるから、安心した」と言う声が聴けて、「来て良かった」と思いました。
物理的にも心理的にも、被災地の復興にはまだまだ時間がかかることでしょう。「できる人ができることを、できる範囲で」応援を継続していく必要を強く感じました。
高橋宏江