ともにある喜び

今、空港のあるシェムリアップに来ています。とうとう明日、日本に帰る時が来ました。

この2カ月、毎日が新しい経験の連続で、まるで違う人の人生を生きているような錯覚さえありました。

でもそれは錯覚であり、様々な経験の中で生じる自分の感覚はどれも、50数年生きてきた私自身だけの物であることも確かでした。これは例えどこの国でどんな経験をしても、おそらく確固としてあるのでしょう。

一方で今回、おおらかなカンボジアの方達だけではなく、鳥や豚やヤギや牛、蟻やヤモリや蜜蜂、猫や犬達など、彼らが身近に右往左往している暮らしを味わいました。これがとっても心地良くて、自分でも意外なほどでした。

もちろん鶏や牛達がのびのびしていて私の野菜苗を蹴飛ばしてしまうのは困りますし、食べ物は直ぐに何でも蟻やらハエだらけになるし、雨あとの牛ガエルの大合唱はうるさいし、ご飯を食べているすぐ下で、おこぼれを待つ犬達がうろうろしているのも落ち着かないのですが、でも何故か、こういうのもありだよな、と、嫌にはなりませんでした。むしろこの雑多とも言える他の生き物達の中にいる自分が、嬉しかったのです。

私が20年以上やって来た自然農の魅力も、人間だけの尺度ではないところに人間の生業としての農があるところです。

私は私という個でありながら、もっと大きなところで全体と繋がっている。だからこんなにも他の命とともにあることが自然に感じるのだな、喜びとして受け取れるのだろうな、だから他の命が幸せでないと、自分も悲しくなるのだな。

カンボジアで様々な経験をし、この事が、これまでよりも鮮明になりました。

お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

この旅で出会った、全ての命が健やかでありますように。

そしてこれからも、地雷ゼロ宮崎が続けて来た「ハチドリのひとしずく」は、色んな形で波紋を広げていくことでしょう。

高橋宏江