HOCの子供達
HOCに通うようになってまず感心したのは、子供達の生活力です。
食事は全て子ども達が交代でつくっています。
カンボジアの小中学校は午前と午後の2部制なので、昼食は午前の部で授業を終えた小学生が作ります。
それも日本のようにスイッチひとつで火がつくようなことはありません。もちろん電子レンジもありません。
薪で火をおこすことから始まるのです。
食べた食器は当然自分で洗って片付けます。
洗濯も同じです。自分の物は自分で手洗い。
加えて市街地にあるカフェは連日朝食からディナーまで営業です。学校の授業や自分達の食事作り当番のやりくりをしながら、小学生から高校生がフル回転で通い、接客や料理を担当しています。
ある日何か始まったな、と思って行って見たら、ムニ様の指導のもと、セメントを捏ね、レンガを積み上げて浄化槽作りをしていました。
とにかく生活のほとんど全てを、自分達で力を合わせて作りだしているのです。小学生の子供達は大きいお兄さんお姉さんがすることを見て学び、「自分だって」と憧れてやっているのが分かります。
かといって働くばかりではありません。
カンボジアの学校では音楽や図工、体育の授業はないそうです。
でもここの子供達はいつでも自由に絵を描いたり、折り紙を折ったり、音楽に触れることができます。
踊りや歌も大好き。私が行っている時は、空き缶のふたから自分で作ったコマをまわしたり、けん玉がブームになっていて、夢中でやっていました。
特に小学生の男の子達に触れることが多かったのですが、お世辞にもきれいな身なりはしていません。サンダルを履いて学校に行っても、帰りは裸足で帰ってくるのだとか。それゆえ足は真っ黒な上に傷だらけです。日本なら敗戦後の焼け野原にいたか、というような子供達。
でも何と言えばいいのでしょう。亮子さんとムニ僧侶の深い愛情のもと、兄弟のような仲間達の中で、実に逞しく心豊かに育っているのです。
本当に目が生き生きと輝いていました。
貧困からおきる育児放棄、虐待、人身売買などが原因で、子供達はここに来るそうです。
この孤児院の近くで、内臓が盗られた子供の遺体が見つかったこともあるそうです。そういうことが身近にあるのが現実です。
けれどもカンボジア政府は、孤児院運営を支援するどころか、子供達を親元に戻すようにプレッシャーをかけてくるというのです。
HOCの子供達が健やかに育っていることは何よりの救いですが、大人として、地球家族の一員として、この現実にどう向き合うのか、私達は問われているのではないでしょうか。
次回はこの子供達と一緒に挑んだ、カンボジアのゴミ問題についてお伝えします。
高橋宏江